「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜」を観た、という話。
それはまさしく好きなバンドの新譜リリースが決まった時の様に。
楽しみにして、心待ちにしていた「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜」の公開。
またこの物語を観られる、という幸い。
喜び勇んで、浮き足立って観に行きました。川崎チネチッタ。
ちょっと待て、と。
これが待ち焦がれたユーフォの新作か、と。
何の因果かこのページを見て下さっているユーフォファンの方々はここでブラウザバックしていただきたい。
胸糞悪い感想を書き殴ります。
まず、私は「響け!ユーフォニアム」がとても好きです。
いま出会ったその時を正確に思い起こす事は出来ないくらいに時は経ちましたが、1期1話が地上波で流れたその翌日から、翌週を待ち切れないくらいの思いで以って観かじり、黒沢ともよさんの演技に心奪われ、通り一遍ではない各部員の抱える病的な面倒臭さにやられ、「いやいやここの演出は過剰やろw」とか「こんな奴おらへんやろww」とか言いながらどっぷりと心酔し、劇場版1作目では「まぁまぁ総集編やしこんなもんやろw」と独りごちながら上手くなりたい久美子の思いに改めてブン殴られ、劇場版2作目で「晴香…あすか…」と息絶えそうになりつつ生き延び、リズショックで惨殺された亡骸です。
1期の途中だったか、原作も全て買い揃え「武田先生…」となって以来、「青い春を数えて」、「その日、朱音は空を飛んだ」等の著作を貪り(「君と漕ぐ 〜ながとろ高校カヌー部」は絶賛読み進め中)、「やはりこの"青春"の切り取り方は唯一無二」と夢中になりました。
今作、「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜」は如何でしたでしょうか。
青春の1ページとしての強度を保てていましたでしょうか。
どうしても、何度反芻しても「これこそが"青春"だ」という確信が得られません。
新一年組の描き方は、どうしてもいちキャラクターの粋を出てはおらず、物語の都合に合わせて動かされる演者の様に思えてなりません。
軸となる久石奏も、連綿と連なるユーフォという物語の一端を担うには至らず、只々それらしき起伏に揺蕩うモブの様に私の眼には映りました。
もちろん個々のシーンを観れば、昔からのファンを喜ばせる箇所は多々あったと思います。
旧3年生組のこれまでと変わらぬ、いやむしろ発展した繋がりを一瞬で描いたシーンには「あすかおはる…」とほだされかけましたし、安定感に溢れたくみれいのやり取りには「あぁ、やはり変わらぬ美しさがここにはある」と諸手を上げかけました。
でも、それでいいんですか。
ユーフォに求めていたものはそれですか。
ヒリヒリする焦燥と、束の間の答えを見出しながら苦悩しつつ足掻き続ける彼女達の、救いと危うさに満ちた紙一重の言葉では無かったですか。
あるいは言葉の外にある、可視化できない不透明な確かな繋がり、揺らぎでは無かったですか。
"青春"は、言い表せないからこそ乞い焦がれる甘き瞬きでは無かったですか。
分かりやすい表面的な表現に終始した瞬間に、死ぬものでは無かったですか。
「響け!ユーフォニアム」シリーズは、原作が最終章を銘打ち、いよいよ佳境に向かって行きます。魅力的な新1年生が登場すると噂に聞きます(恥ずかしながらこれから読みます)。
でも。私はアニメーションとしての「響け!ユーフォ二アム」が本当に大好きです。
余りに人間味に溢れた彼女たちの物語をこれからも紡いでいただけるなら何度でも劇場に足を運びますし、もしかしたらあるかもしれない立華高校のエピソードが映像化されれば、一も二もなく直ぐに観るでしょう。
それは、ユーフォが「人を人として」描く事に偏執的な迄に拘りを持った映像作品だと信じているからです。
頭のおかしなファンの独り言でいいんです。
でも、この想いを映像化してくれたという、一方的で全幅な信頼を寄せている頭のおかしなファンがいるという事は、きっと他にも同じ想いを抱いている方がいるのではないか、と思ってこの文を綴ります。
次回作があるなら、もちろん観ます。
信じさせてください。この物語を。