おっさんによるロックの凄み
4/29 アラバキロックフェスティバルに行った。
最高によかった。
好きなバンドばかりなので当然といえば当然なのだが、凄く久しぶりに単純にウォーとなったので思いのままに書く。
ロックとは既成概念・現状への反抗、怒りを音に詩に乗せて掻き毟る衝動的表現欲求の発露である。
故に必然的に、既成概念を作るオトナと対立する構図になる。
ロックは、若者による若者のための音楽である。
演る側も聴く側も歳を取る。
かつてど真ん中の若者だった奴らも気付けば中年、腹も出れば髪も抜ける。
悩みの種は存在証明、アイデンティティの確立から生活習慣病へとシフトする。
漠然とした怒りは日々の暮らしに埋没し、純度を失う。
怒りは知らず知らずのうちに違和感に形を変え、より曖昧に心にこびり付いてゆく。
そんな中で40、50を過ぎてなお、必死に怒りを歌い続ける男達がいる。
見て見ぬ振りをしている、もはや形も定かでない心のムニャムニャから目をそらすなと彼らは言う。
ロックバンドは傾奇者。
生き馬の目を抜く栄枯盛衰の世界で、浮き沈みしながら酸いも甘いも見てきたであろう彼らが、紆余曲折の末に叫ぶ言葉が初期衝動に回帰する、その重みが堪らなく嬉しい。
怒髪天は新曲で、
「ロックバンドが理想や夢語らずにどうする」と歌った。
どんなに疎まれても拒絶されても、理想を押し付けることが教師のあるべき姿だと桂馬は言った。
白けた態度で薄めて生きる日々の中で見えなくなってゆく心の本音。
こなし方を身に付ける前に、本音から逃げない生き方をまず教えるのが教師の仕事だ、という叫びに、桂馬の、というより作者 若木民木さんの想いが滲む。
もう一つ。
「フリクリ」のメインテーマ。
ガキはガキらしく素直にぶつかれ。
オトナのフリして誤魔化してガキのまんまオトナになるな。
かつて大槻ケンヂは「30過ぎてロックやってるのはただの面白おじさん」と言った。
若者の音楽にしがみつくガキのまんまのオトナ達を揶揄するとともに、捻くれながらも真っ直ぐに生きたいと願う矜持も込めた言葉だと解釈している。
そんなことをぼんやりと考えながら浴びせられた、the pillowsの「Fool on the planet」。
おっさんのロックも、いいぞ。